サクラ咲け!!41歳、妊活リスタート。43歳、高齢出産!

40歳から不妊治療を開始し、2度の稽留流産を経て、43歳で出産。45歳の今、1歳男児の育児中です。

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強い気持ちを味方につけたい

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 今日のニュース、見ましたか?「女優 加藤貴子が妊娠発表、出産は47歳直前に」って。うわっ、すごいなぁ、と素直に思いました。妊娠したこともすごいけど、妊娠するまで頑張り続けたその精神面に敬服。彼女は第1子のときも不妊治療して、何度も流産を経験して、44歳で出産している。その時にだって、きっと何度も心が折れそうになったことがあったと思う。それなのに、さらに歳をとって、また第2子妊娠を目指そうと決めただけでも驚いていた。そのうえ、こうして結果を出すまで頑張り続けてた。すごいわー、その強い気持ちに心底、脱帽する。

それにひきかえ、私は今月、2度目の流産を経験して、初めて、「あぁ、もうダメなのかな。」って弱気な気持ちが遠くから波みたいに少しずつ押し寄せてきた。1度目の流産をした後は、「次こそは!」という前向きな気持ちが強かったけど、2度目はそうはいかなかった。自分の卵子がいかに老化しているのか、その現実が突きつけられたような気がしてしまって。不妊治療は、お金や通院の大変さもあるけど、一番大変なのは、前向きな気持ちを保つことだよね。 一生懸命やればやるほど、結果の出ないことへの不安や焦りが増幅していくから。。

そんなわけで、背水の陣のような気持ちで、この週末に、不育症検査のできるクリニックに行ってきました。今までと違って複数の医師のいる近代的で規模の大きなクリニック。慣れない雰囲気に圧倒されちゃったけど、今の卑屈になりがちな自分には、よい刺激となりました。少しだけ続いている出血が止まり次第、ここで不育症検査を実施します。春、新しい一歩です。

 

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先生の優しいコトバに覚えたふたつの罪悪感

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「よく我慢したね。綺麗になってるよ。」、「いっぱい血がでたでしょ。血が止まらなくなっていった時、どんな気持ちだったかすごくよくわかるよ。」

2度目の流産発覚から2週が経った今日、内診した先生が最初に言った言葉です。先生の温かい言葉に、開脚したまま、また思わず涙腺がゆるみます。

わたし:「大量に出血しました。それが出てくる時はわかるのかな、と思っていたんだけど、わからなかったんです。。」

先生:「そう。きっと血の塊に紛れていたんだと思うよ。でもね、わからなくて良かったと思うよ。」

わたし:「はい…」

先生:「この子はきっと次の妊娠を見守ってくれるから、これで区切りをつけて次に進みましょう。あと3人分の凍結胚盤胞があるんだから。」

こんな会話をしながら、罪悪感も覚えました。実は、まだ胎嚢が残っていた先週の診察時、「もうすぐ自然に出てくるから今は待つだけだよ。」と言われていたにもかかわらず、せっかちな私はその時を待ちきれずに、手術のできるクリニックを自分で探して受診していたのです。そして、手術のできるクリニックでも、手術不要との診断を受けていました。あー、先生、こんなに優しい言葉をかけてくれる先生なのに、信じきれなくてゴメンナサイ。。

「次に生理がきたら、排卵日あたりに受診してください。」そう言われてクリニックを後にして、またもうひとつの罪悪感が。そう、実は、今週末に別のクリニックの初診予約を入れているのです。今のクリニックの先生は優しいし、4回の移植で2回妊娠しているのだから、腕も悪くないに違いない。不満はない。でも、2度も連続して流産したら、さすがにいろいろ考えました。不育症の検査もしっかりできる、もう少し大きなクリニックへ行ってみるつもりです。検査だけでなく、転院までするかどうかは行ってから判断するつもりです。また、その様子は、ここで報告しようと思います。42歳、これが最後の悪あがきになるのかな、なんて思っています。

 

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 泣かないと決めていたのに結局、泣いた。

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「悲しい思いをさせてしまうけど、、」と、先生がカーテンを上げて、エコー画面の説明を始めた。先週よりも、ずっとずっと小さくなった胎芽の姿が映し出された。ある程度、覚悟はできていた。静かに返答して、内診台を降りた。
気持ちも表情も固まったまま、問診室に移動した。先生から、先週の診察の直後あたりで成長が止まったと思われることが説明された。「先生、なんで、私は2度も続けて…」、そこまで言ったら、もうダメだった。涙が次から次へと溢れてきて、先生がティッシュの箱を渡してくれた。「そうだよね、2度続けて流産したら、つらいよね」と言って。先生が、考えられる理由とかを色々話してくれたけど、正直、ほとんど、記憶に残っていない。 
夜、夫に会ってからは、なるべく沈黙にならないように、できるだけ話し続けた。「不育症の検査もした方がいいみたい。」、「2度続いても3度目の妊娠では無事に出産できる人が多いんだって。」、「不育症の検査はべつの病院に行った方がいいかな。」たぶん怖かったんだと思う。夫の口から、「もうダメなのかな」とか、「もう諦めよう」という言葉が出てくるのが。 
2度目の稽留流産は、1度目と違って、知識も覚悟もあって、あの日のように「天国」から「地獄」に一気に突き落とされた感じはない。代わりに、今度は2度続いたことに対する恐怖の気持ちと、今年43歳になる焦燥感がある。ひとりで、真っ暗闇に落ちていってしまったようなそんな気持ち。こんなにも、こんなにも上手くいかないなんて。来週まで待って、自然にでてこなければ、また手術です。 
誰かを勇気づけるために始めたブログのはずが、私が勇気づけられました。温かいコメントをくださった方々、ありがとうございました。激励に応えられず、今はただただ、無念です。
 

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ありふれた日常にあこがれて

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 「来週、胎芽と心拍が確認できれば大丈夫だから」と先生に言われて1週間。裏を返せば、「来週、胎芽と心拍が確認できなければ諦めて」ということよね。そこから、とてもナーバスな1週間が始まった。
 例えば、電車が動きだすとき、ホームにちらっとバッグに「マタニティマーク」を付けたお腹の大きな妊婦さんが見える。その隣にはダンナさん。一緒にゆっくり歩いている。そのダンナさんが、無言で、すっと手を伸ばして、奥さんの大きな荷物を引き取る。ただそれだけ。何気ない、本当に何気ないそんな日常のワンシーンを目にするだけで泣きたくなる。そんな1週間だった。
7w5d、恐る恐る内診台に上がる。今回も少しの沈黙があってから、カーテンをあげてエコー画面を見るように言われる。胎芽と心拍が確認できることが伝えられた。ホッとした。でも、すぐに先生の口調が何か言いたげで重たいことに気づいた。「先生、もしかして大きさが…?」、「そうなんですよ、小さいんです。経過を見るしかありません。」
問診室に移って、胎芽が4.4mmしかないことを知らされる。事前に調べていたから、この時期の標準サイズは1cm程度ってわかってた。半分にも満たないことを知って、愕然とした。意気消沈して無言になった私に先生は、「もともと最初から胎嚢が小さかったから、まだ胎芽が小さくても当然」、「10週までに標準に追いつけば大丈夫」、「前回見えなかった胎芽が見えるようになっているから成長している」、等々のポジティブな言葉を並べてくれた。でも、部屋を出るときに先生が最後にかけてくれた言葉、「1週間経たなくても、何かあったら、すぐに受診してください。」の言葉が先生の一番の本心なんだと思った。いつ、何があってもおかしくない状態だって思っているんだ。
その日から、また始まってしまいました。考えても仕方のないことを考えて、考えて、考えて、検索して、検索して。検索しても、良い例はほとんど見つかりません。焦って検索し続けて悪循環です。
 

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考えてどうにかなるものではないとわかっているけど。

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気持ちが落ち込んでしまって、どうしようもない。

エコーをみる先生が一瞬、沈黙した。いやな沈黙。

6w5d、胎芽が見えるはずが、胎芽は見えず。

胎嚢も12.6㎜とだいぶ小さい。

「先生、これって、、、?」

「来週、胎芽と心拍確認できれば、それで大丈夫だから。」

先生はニッコリ笑顔で、それしか言わない。

そうだよね、いまは、それ以外、なんとも言いようがないよね。

でも、後から、検索すればするほど、かなり厳しい状況ってすぐにわかる。

昨年流産したときのエコー写真に比べても、胎嚢が明らかに小さすぎるもの。

漢方の先生が言っていました。

医者から「もうダメです。」って言われたら、いくら泣いてもいい。でも、それまでは、あなたにできることは、お腹のなかの命を応援すること。もう別の命なんだから、あなたがどうにかできるものじゃないんだから、って。

信じなくちゃ。応援しなくちゃ。。

そう思うのに、なかなか心がついていかない。

 

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神さまに手を合わせるひとの想い

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昨年、流産してしまったときの自分は、本当に無邪気だった。今つくづくそう思います。先生の口から「陽性」の言葉を聞いたその週のうちに、両親、義理の両親だけでなく、ちょうど食事会で集まる機会のあった親戚にまで、そのことを報告し、みんながそれはそれは喜んで祝福してくれて。流産が発覚したとき、そのことがさらに自分の気を重くしていました。

この経験から、今回の陽性判定は誰にも話していません。知っているのは、先生と、私達夫婦とこのブログを読んでくださっている方だけ。だからこそ、ブログにいただいた祝福のコメントはありがたかったー。

そんな私たちが、陽性判定後の最初の週末、まっ先に向かった先はお寺。そう、流産の直後にお参りしたお寺です。

sanchan22.hatenablog.com

手を合わせて祈りました。「ありがとう。戻ってきてくれてありがとう。今回は、どうかお腹のなかで健やかに育ってね。」と。

私達夫婦の次にお参りしていたのは、4人家族でした。中年のご夫婦と、小学生の兄弟。一見、観光のついでに立ち寄ったようにも見えましたが、違いました。兄弟がふたりで、大事そうに風ぐるまをお供えし、それから、4人は家族一緒に手を合わせ、そこで長いことお祈りしていました。

いつもそう。子連れのママや、ファミリーを見ると、絵に描いたような幸せな毎日を過ごしているように想像してしまいます。でも、その家族の横顔を眺めながら、思いました。ひとには傍目からはわからない、いろんな歴史があって、悲しみを乗り越えて、それでも、そのことを決して忘れずに胸に刻んで生きている人もいるんだよなって。

まだ、日々、うるさいほどに体調の変化に一喜一憂し、「去年くらい、ドーンと構えてているほうが良いんじゃないかと思うよ。」と夫に呆れらている毎日です。

 

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幼い子どもの不思議なチカラ⁈  

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 先週末のことです。夫と友人と3人で少し遠出をしていました。帰りの特急電車、途中で停車した駅でふとホームを見ると、乗車予定の列車でも待っているのか、ちょうど私たちの席のあたりに2,3歳くらいの女の子と、も少し大きなお兄ちゃんとパパの3人組が立っていました。3人は、ボーッと電車の方を見つめていましたが、突然、女の子だけが、私たちのボックスのあたりを見て、ものすごい笑顔で盛んに手を振ってくるのです。まるで誰かを見つけたみたいに。「えっ、誰か知り合い?」こっちの方は見ているんだけど、誰とも目は合っていないような。「この子、ダレを見て手を振ってるの?」私たちは顔を見合わせ、驚きながらも3人とも笑顔で手を振り返しました。列車が動き出し、パパが後ろで、私たちに会釈しています。すみませんねぇ、みたいな顔をして。友人が言いました。「なんか今の、ちょっと不思議な感じがしたね」って。その言葉で、ふとあることを思い出しました。そうだ、なにかで読んだことがある、幼い子供には不思議な力があるって。お腹のなかの赤ちゃんの性別を言い当てたり、ママさえ自覚していない頃から、ママの妊娠を指摘したりすることがあるって。もしかしたら、、、。
迎えた3日後のBT14、クリニックでの判定日。結果は陽性でした。昨年、心拍確認後に稽留流産しているので、まだまだ手放しで喜ぶには程遠い段階です。それでも、100記事以上更新してきたこのブログに、こうして初めて、明るい話題が載せられることを、とても嬉しく思います。
 

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