サクラ咲け!!41歳、妊活リスタート。43歳、高齢出産!

40歳から不妊治療を開始し、2度の稽留流産を経て、43歳で出産。45歳の今、1歳男児の育児中です。

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 泣かないと決めていたのに結局、泣いた。

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「悲しい思いをさせてしまうけど、、」と、先生がカーテンを上げて、エコー画面の説明を始めた。先週よりも、ずっとずっと小さくなった胎芽の姿が映し出された。ある程度、覚悟はできていた。静かに返答して、内診台を降りた。
気持ちも表情も固まったまま、問診室に移動した。先生から、先週の診察の直後あたりで成長が止まったと思われることが説明された。「先生、なんで、私は2度も続けて…」、そこまで言ったら、もうダメだった。涙が次から次へと溢れてきて、先生がティッシュの箱を渡してくれた。「そうだよね、2度続けて流産したら、つらいよね」と言って。先生が、考えられる理由とかを色々話してくれたけど、正直、ほとんど、記憶に残っていない。 
夜、夫に会ってからは、なるべく沈黙にならないように、できるだけ話し続けた。「不育症の検査もした方がいいみたい。」、「2度続いても3度目の妊娠では無事に出産できる人が多いんだって。」、「不育症の検査はべつの病院に行った方がいいかな。」たぶん怖かったんだと思う。夫の口から、「もうダメなのかな」とか、「もう諦めよう」という言葉が出てくるのが。 
2度目の稽留流産は、1度目と違って、知識も覚悟もあって、あの日のように「天国」から「地獄」に一気に突き落とされた感じはない。代わりに、今度は2度続いたことに対する恐怖の気持ちと、今年43歳になる焦燥感がある。ひとりで、真っ暗闇に落ちていってしまったようなそんな気持ち。こんなにも、こんなにも上手くいかないなんて。来週まで待って、自然にでてこなければ、また手術です。 
誰かを勇気づけるために始めたブログのはずが、私が勇気づけられました。温かいコメントをくださった方々、ありがとうございました。激励に応えられず、今はただただ、無念です。
 

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ありふれた日常にあこがれて

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 「来週、胎芽と心拍が確認できれば大丈夫だから」と先生に言われて1週間。裏を返せば、「来週、胎芽と心拍が確認できなければ諦めて」ということよね。そこから、とてもナーバスな1週間が始まった。
 例えば、電車が動きだすとき、ホームにちらっとバッグに「マタニティマーク」を付けたお腹の大きな妊婦さんが見える。その隣にはダンナさん。一緒にゆっくり歩いている。そのダンナさんが、無言で、すっと手を伸ばして、奥さんの大きな荷物を引き取る。ただそれだけ。何気ない、本当に何気ないそんな日常のワンシーンを目にするだけで泣きたくなる。そんな1週間だった。
7w5d、恐る恐る内診台に上がる。今回も少しの沈黙があってから、カーテンをあげてエコー画面を見るように言われる。胎芽と心拍が確認できることが伝えられた。ホッとした。でも、すぐに先生の口調が何か言いたげで重たいことに気づいた。「先生、もしかして大きさが…?」、「そうなんですよ、小さいんです。経過を見るしかありません。」
問診室に移って、胎芽が4.4mmしかないことを知らされる。事前に調べていたから、この時期の標準サイズは1cm程度ってわかってた。半分にも満たないことを知って、愕然とした。意気消沈して無言になった私に先生は、「もともと最初から胎嚢が小さかったから、まだ胎芽が小さくても当然」、「10週までに標準に追いつけば大丈夫」、「前回見えなかった胎芽が見えるようになっているから成長している」、等々のポジティブな言葉を並べてくれた。でも、部屋を出るときに先生が最後にかけてくれた言葉、「1週間経たなくても、何かあったら、すぐに受診してください。」の言葉が先生の一番の本心なんだと思った。いつ、何があってもおかしくない状態だって思っているんだ。
その日から、また始まってしまいました。考えても仕方のないことを考えて、考えて、考えて、検索して、検索して。検索しても、良い例はほとんど見つかりません。焦って検索し続けて悪循環です。
 

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考えてどうにかなるものではないとわかっているけど。

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気持ちが落ち込んでしまって、どうしようもない。

エコーをみる先生が一瞬、沈黙した。いやな沈黙。

6w5d、胎芽が見えるはずが、胎芽は見えず。

胎嚢も12.6㎜とだいぶ小さい。

「先生、これって、、、?」

「来週、胎芽と心拍確認できれば、それで大丈夫だから。」

先生はニッコリ笑顔で、それしか言わない。

そうだよね、いまは、それ以外、なんとも言いようがないよね。

でも、後から、検索すればするほど、かなり厳しい状況ってすぐにわかる。

昨年流産したときのエコー写真に比べても、胎嚢が明らかに小さすぎるもの。

漢方の先生が言っていました。

医者から「もうダメです。」って言われたら、いくら泣いてもいい。でも、それまでは、あなたにできることは、お腹のなかの命を応援すること。もう別の命なんだから、あなたがどうにかできるものじゃないんだから、って。

信じなくちゃ。応援しなくちゃ。。

そう思うのに、なかなか心がついていかない。

 

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神さまに手を合わせるひとの想い

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昨年、流産してしまったときの自分は、本当に無邪気だった。今つくづくそう思います。先生の口から「陽性」の言葉を聞いたその週のうちに、両親、義理の両親だけでなく、ちょうど食事会で集まる機会のあった親戚にまで、そのことを報告し、みんながそれはそれは喜んで祝福してくれて。流産が発覚したとき、そのことがさらに自分の気を重くしていました。

この経験から、今回の陽性判定は誰にも話していません。知っているのは、先生と、私達夫婦とこのブログを読んでくださっている方だけ。だからこそ、ブログにいただいた祝福のコメントはありがたかったー。

そんな私たちが、陽性判定後の最初の週末、まっ先に向かった先はお寺。そう、流産の直後にお参りしたお寺です。

sanchan22.hatenablog.com

手を合わせて祈りました。「ありがとう。戻ってきてくれてありがとう。今回は、どうかお腹のなかで健やかに育ってね。」と。

私達夫婦の次にお参りしていたのは、4人家族でした。中年のご夫婦と、小学生の兄弟。一見、観光のついでに立ち寄ったようにも見えましたが、違いました。兄弟がふたりで、大事そうに風ぐるまをお供えし、それから、4人は家族一緒に手を合わせ、そこで長いことお祈りしていました。

いつもそう。子連れのママや、ファミリーを見ると、絵に描いたような幸せな毎日を過ごしているように想像してしまいます。でも、その家族の横顔を眺めながら、思いました。ひとには傍目からはわからない、いろんな歴史があって、悲しみを乗り越えて、それでも、そのことを決して忘れずに胸に刻んで生きている人もいるんだよなって。

まだ、日々、うるさいほどに体調の変化に一喜一憂し、「去年くらい、ドーンと構えてているほうが良いんじゃないかと思うよ。」と夫に呆れらている毎日です。

 

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幼い子どもの不思議なチカラ⁈  

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 先週末のことです。夫と友人と3人で少し遠出をしていました。帰りの特急電車、途中で停車した駅でふとホームを見ると、乗車予定の列車でも待っているのか、ちょうど私たちの席のあたりに2,3歳くらいの女の子と、も少し大きなお兄ちゃんとパパの3人組が立っていました。3人は、ボーッと電車の方を見つめていましたが、突然、女の子だけが、私たちのボックスのあたりを見て、ものすごい笑顔で盛んに手を振ってくるのです。まるで誰かを見つけたみたいに。「えっ、誰か知り合い?」こっちの方は見ているんだけど、誰とも目は合っていないような。「この子、ダレを見て手を振ってるの?」私たちは顔を見合わせ、驚きながらも3人とも笑顔で手を振り返しました。列車が動き出し、パパが後ろで、私たちに会釈しています。すみませんねぇ、みたいな顔をして。友人が言いました。「なんか今の、ちょっと不思議な感じがしたね」って。その言葉で、ふとあることを思い出しました。そうだ、なにかで読んだことがある、幼い子供には不思議な力があるって。お腹のなかの赤ちゃんの性別を言い当てたり、ママさえ自覚していない頃から、ママの妊娠を指摘したりすることがあるって。もしかしたら、、、。
迎えた3日後のBT14、クリニックでの判定日。結果は陽性でした。昨年、心拍確認後に稽留流産しているので、まだまだ手放しで喜ぶには程遠い段階です。それでも、100記事以上更新してきたこのブログに、こうして初めて、明るい話題が載せられることを、とても嬉しく思います。
 

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夢が夢でなくなった日

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ここ数日、体調も気持ちも、ジェットコースターのように、上がったり下がったりしていて、文章が書けないでいました。今日は気持ちが少し落ち着いたので、その日毎の気持ちを振り返って、できるだけ冷静に記録します。

BT5で明け方フライングの夢をみたことは、前の記事で書いたとおりです。

これから書くのは、そこから先のことです。
BT5夜
漢方薬屋へ行って、フライング検査したら陰性だったことを報告し、また1ヶ月分の薬を購入。帰宅後、陰性報告のため、フライングした検査薬をダンナに見せる。
・・・、2人で見えた。線ではなく、影が。えっ、、まさか。
 
BT6 体温36.54度
前日、検査薬に影を見つけたものの、自覚症状が無さすぎる。前回、化学流産したときは、明らかに脚の付け根がチクチクした。ということは、前回よりも軽い化学流産で、少しだけ着床しかかったってこと⁈ 夜、ルティナス座薬を入れた際だけ、生理痛のような腹痛あり。
 
BT7 体温36.61度
朝、フライング。前回のような影ではなく、極細の線が出現。歓喜。慌てて漢方薬屋に電話して、薄く陽性反応がでたことを伝えたところ、処方されている3種の薬のうち、1種を控えるよう助言される。また、習慣にしているジョギングはウォーキングに変えるように言われた。
ところが夜、かなりの量のピンクのおりもの。顔面殴られたみたいなショック。稽留流産のときも、化学流産のときも、このピンクのおりものを目にしていたから。良くない報せに違いないと思い、一気に気持ちが落ち込む。口数が減る。
 
BT8 体温36.50度
体温の急降下で、化学流産を確信。36.50度って、そんな体温の妊婦がいるかわけない。淡い期待を抱いていただけに、落ち込み方がハンパない。仕事が手につかなくなる。1日中、検索が止まらない。自棄になって、控えていたコーヒーを口にする。
 
BT9 体温36.71度
体温が上がった。またフライングしてみる。極細の線は消えていなかった。希望の光が消えていなかったことを知り、気持ちが落ち着く。
 
私の通っているクリニックは判定日はBT14です。これまでの流産経験から、今は毎日、不安で不安で仕方がありません。BT5の昼間の時点では完全に諦めて、次周期の治療について漢方医と話し合っていました。そんな自分が、一旦期待を持ったことで、こうも気分が浮き沈みするものかと、情けなくもあります。正直、ブログも書くのが怖くなってしまっていました。「陽性」とか書いてしまってから、また後日、「ダメでした」って書きたくないな、なんて。でも、このブログをスタートした日のことを思い出しました。いつか、誰かが「流産した後、こんな風に悩んで、もがいて、それでも妊娠した人がいる」ってそう思ってくれたらいいと思って始めたんだった、って。だから、まだ、どうなるかまったくわからないけど、この不安定な日々もありのままに記録しよう。そう思って、今日、書き出しました。たとえどういう判定になろうとも、そのときも、必ずここで報告します。
 

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切なすぎる、ループしてみる陽性反応の夢

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「あー、うっすら線が見えるよー!!」、なーんだ夢かー。さっ、ホントに起きてやってみるかー。あれ、ホントにうっすら線がでてきたよ。今度こそ、夢じゃないよね、これは夢じゃないよね。あれ、、それとも夢⁈
明け方、こんな夢をずーーっと見てた。真夜中に目が覚めた時に検査して、そっと置いてきた早期検査薬。朝起きたら結果を見るって決めてたから、それが夢になって出てきちゃったみたい。それも繰り返し、繰り返し、、。
BT5、フライングするって決めていた。過去3回の移植も毎回同じタイミングでフライングしていたから。結果は真っ白。なんの自覚症状もないから覚悟してたけど、改めて、妊娠する難しさをひしひしと感じる。世の中さ、フツーに2人も3人も子供連れて歩いてる人をいっぱい見るのに、なんで、こんなに妊娠しないの?高齢でも、どんどん妊娠してく人もいる。なのに、どうして。。
 

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